甲陽大阪43会サルーンだより

 

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第82回例会記録  

 

1.        日時  平成26年5月22日(木)18:00〜20:00

2.場所  レストラン モリシタ(梅田新道ビルB1F)

3.出席者 19名               敬称略

      今福   大針   川口   北野   衣笠

      栗本   鯉谷   櫻井   鈴木   竹内

      中野(正)那須   檜垣   平井   水谷

      南    渡邊   福山   小林

4.今回のお話

  講師 : 大針洋男さん

  テーマ:「我が家のルーツを尋ねて――咸臨丸・北前船――」

      *多方面にわたる詳細な資料をもとにパワーポイントを使い説明していただきましたが、ここでは粗筋にとどめます。

       

 

  (あらすじ)  

  大針家には、先祖の幕末の遺品として、二つの言い伝えと、二つの品物、

1枚の写真が残されていた。

大針さんは、大阪ガスをリタイアし、心に余裕がでてきたのを機会に、今の間にこのことをよく調べ、記録に残しておこうと行動を開始したところ、創造以上に興味を引く事柄がわかってきた。

  言い伝えの第一は、

「勝海舟と共に咸臨丸に乗ってアメリカへ行った先祖がいる」ということ。

第二は、

「大針家は、新潟・新発田の御用商人で、江戸時代末期には北前船の廻船問屋をしていた」ということ。

  残されていた二つの品物と写真は、先祖がアメリカから持ち帰ったという洋皿と西洋ダンス、それにアメリカで撮ってもらったという写真である。

  調べているうちに、「咸臨丸子孫の会」という会があることを知って、これに入会した。

大針さんは、咸臨丸が太平洋を横断したときの乗組員、水主(かこ)の大倉幸三郎の曾姪孫にあたることが判明、爾来、調査活動を続けてきた。

  そして、大針家(=大倉家)は、瀬戸内海塩飽諸島の本島(ほんじま)にルーツがあることがわかってきた。

  写真については大倉幸三郎本人の写真と信じきっていたが、写真蒐集家の鑑定によると、実はこれが福沢諭吉の写真であると判明したというエピソードもあった。

  これから大針さんがやっていきたいことは、

・「咸臨丸子孫の会」の催しに参加し、さらに情報を集めていくこと。

・大倉財閥の総帥、大倉喜八郎が大針喜平に借金したと伝えられていることの事実調査

・函館と新発田の訪問旅行

・まとめた資料を子供たちに伝えること。家族は誰も知らん顔をしているが、一人で楽しんでやっていく所存

とのこと。

  ところで、甲陽大阪43会には、この瀬戸内の本島に先祖のゆかりのある方が、大針さんはもとより、渡邊さん、鯉谷さんのお二人がいらっしゃることがわかった。

さらに咸臨丸関係では、水谷さんが咸臨丸が後に長崎まで運んだオランダ留学生の子孫とわかった。

奇遇、機縁に驚いたことであった。

5.この会での決定事項

  福山幹事から、講師を務めていただいた会員からは参加費を徴収しないことの提案があり、当会から実施することが了承された。

文責:小林